ラベル エドワードバッチ博士 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル エドワードバッチ博士 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年4月9日火曜日

汝自身を癒せ〈エドワード、バッチ博士〉

         親と子の関係


親と子、教師と生徒の有るべき関係について考えてみましょう。

親の役目とは本来魂がさらに成長する為にはこの世との接触を
可能にする特別な媒体となる事です。

魂が肉体を持ってこの世に産まれてくる仲立ちとなり、その後の数年間、産まれてきた人間を世話する事以上に重要な機会はおそらく無いでしょう。

親はこの小さいな新来者に出来る限り霊的、精神的物理的な導きを与える事だけを心がけるべきです。

その小さな存在が、高次の自己の命ずる声に従い、自分らしいやり方で、
経験と知識を獲得する為に産まれてきた別個の魂(存在)で有る事を
忘れてはなりません。

彼らがのびのびと成長できるように可能な限り自由にさせる必要があります。

親の役目は神聖な努めてであり、人間が果たすように求められる他の役と同様に、
もしくはそれ以上に尊重されるべきものです。
 それは犠牲の一つですから子供から何の見返りも求めてはなりません。

そして魂はその若い人格を引き受けるまで、ただ寛大な愛と保護と導きを与える事、
与える事だけを目的とするすべきであるのをいつも心に留める必要があります。


自立、個性、自由は、最初から教えられるべきであり、子供は、
人生の出来るだけ早い時期に、自分自身で考え行動するように促されるべきです。


親は子供が自分の事をうまく一人でできるようになるにつれて徐々に
管理するのをやめ、その後は、親に対する遠慮や間違った義務感が
子供の魂からの指示を阻む事の無い様に注意しなければなりません。

両親は、若い人格を自分自身の考え方や願望によって
 作り上げたいという欲望に負けないように
 特に注意を払わなければなりません。


そして1つの魂を世界と接触させる仲介者になるという
 自然な義務と神聖な特権を持っているからといって、
 不当な管理や、愛情の強要はどんなものでも
 慎まなければなりません。

子供を支配したいという欲望や、
 若い生命を個人的な目的に合わせて
 形作りたいという願いは、恐ろしい形の強欲で、
 決して黙認するわけにはいきません。


というのはもしこの欲望が若い父親や母親の中に根を
 張ってしまうと、その両親はいつかほんとうの
 吸血鬼のようになってしまうからです。


ほんの少しでも支配したいという欲望がないかどうか、
 親となる最初にチェックするべきです。

私達は、強欲さの奴隷になりさがって、
 他人を自分の持ち物のように動かしたいという願望に
 駆り立てられる事を拒否しなければなりません。

私たちは与える技術を自分のなかで推奨し、
 それを発達させ、その犠牲で、
 それに反する行動が跡形もなく
 洗い流される所までいかなければなりません。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

  • 学校の教師と子供の関係 


学校の教師が常に心に留めておかなければならないのは
自分の役割は若者が世界と人生について学べるように
導きと機会を与える単なる仲介者に過ぎないという言う事です。

それは一人一人の子供が、自分のやり方で知識を吸収できる様にする為で
あり、もし自由が与えられれば、自分の人生の成功に必要な物を、本能的に
選びとれる様にする為です。

それゆえ、ここでも、生徒が自分に必要な知識を得る事が出来る様に、
生徒に最大限に優しい世話と導きを与える以上の事は何もしてはなりません。


子供達が憶えておかなければならないのは、親という役割は創造力を象徴していて
その使命は神聖な物であるが、子供の発達を制限したり、子供が自分の魂が
命じる生活や仕事をするのを邪魔しかねない事を、義務として子供におわせるような
存在ではないという事です。

この認識がかけていたため、現代文明において、どれだけ計り知れない苦しみが生まれ
人間の性質が歪められ、支配的性格を持つ人たちを増やしていったか、
想像もつかないほどです。

ほとんどのあらゆる家庭で、完全に誤った動機と、親子関係の間違った認識から
、両親と子供達は自分で自分の牢獄を作っています。

これらの牢獄は、自由を阻害し、生活を拘束し、自然な発達を妨げ、関係する
全員に不幸をもたらしています。

そうした人たちを蝕んでいる精神や、神経や、さらには身体的な不調が、実際私達の
現在の病気の中で非常に大きな部分をしめています。

2019年3月13日水曜日

エドワードバッチ博士について


もともと正統医学(西洋医学)の医師であったバッチ博士がどのように人の心を癒すフラワーレメディのシステムの開発に至ったのかバッチ博士のヒストリーです。


バッチ博士

エドワードバッチ博士(1886-1936)は、時代に先がけた考えを持った医者でした。
短い生涯で、博士は正統的な医学(西洋医学)から
自然な形の医学を発展させ、感情面とスピリチュアルな面の健康に
対応するという、現代のトレンドである、ナチュラルヘルスに
非常に当てはまる考え方をしていました。




イギリスのバーミンガム郊外に生まれ、ウエールズの血を引く博士は
直感力に優れ、自然を愛し、繊細だが独立心が旺盛な子供でした。


16歳で学校を卒業して3年間は、医学の道に進む用意をする為に
バーミンガム郊外にある、父親の真鍮工場で過ごしました。


バッチ博士のキャリアは、正統医学の経歴をもち、医師として大変な成功をおさめました。
1912年にロンドンのユニーバーシティ・カレッジ・ホスピタルで医師の資格を得て、1913年に救急外来担当医になりました。

同年ナショナル・テンペレンス・ホスピタルの緊急外来の外科医になりました。
一時健康を損ないましたが、病気が回復してからは、

ロンドンで開業し多忙な生活を送りました。



若い頃からバッチ博士は人々の性格や心のあり方が健康状態に
影響を与えている事に気づいていました。

医学生としても、博士は患者の症状よりも患者個人に関心を向けており、
早い時期から、病気においては人格、つまりどういう人で有るかが病気の
症状より重要で、医学的な治療にもその点が考慮されるべきだと考えました。



博士は、正統的な医学(西洋医学)の限界と症状のみに焦点を当てた治療法にますます失望して行きました。



効果的な治療法は、病気の原因を対象にする必要が有ると考えた博士は、
免疫学への関心を追求する事に決め、1915年にユニバーサル・カレッジ・ホスピタルの次席最近学者になりました。



博士の身体はもともと強健ではなく、第一次世界大戦の徴兵検査には
合格しませんでしたが、1917年に健康状態が悪くなり、
一時は死を宣告されました。

自分の研究を完成させたいと言う博士の強い決心が、病気からの回復に導きました。

その経験から、後にレメディを開発する時にも、本人の内なる真実の声に従うことが、スピリチュアルにも身体的にも健康でいるためには不可欠であるとの信念に強く博士が影響を受けたことがみてとれます。


1912年から1922年迄、博士はロンドンでのホメオパシック・ホスピタルで病理学者と細菌学者として勤務しました。

そこで博士は、ホメオパシーの祖であるサミュエル・ハーネマンが、150年も前に病気においては患者の性格が重要である事に既に気づいていたことを知って驚きました。



博士は正統医学の知識とホメオパシーの原則を組み合えあわせて、
セブン、バッチ、ノソードを開発しました。

このノソードとは腸内細菌から作った経口ワクチンで、腸管内を浄化し
患者の健康状態全般と、関節炎のような治りにくい慢性症に著しい
効果を上げました。


博士はまだロンドンに診療所を持ち、ノッティンガム・プレイスで無料で
貧しい人たちを診療しました。

忙しい日々にも、博士はよりシンプルでピュアな治療法を探し続けました。


医師達は医師のワクチンを使う様になりました。(このワクチンは現在でも利用している、医師やホメオパスもいます)博士は細菌由来の薬剤で有る事を好まず、できれば植物由来のより穏やかな方法に切り替えたいと願っていました。

1912年の有る夕食会で、バッチ博士にはある考えがひらめきました。集まった人を眺めていて、そのゲスト達にはいくつかのタイプに

分けられるという事に気が付いたのです。

この事から、タイプや性格によってそれぞれ有る特定な病気に
対する反応の仕方をするという結論に達しました。

その年の秋にウェールズを訪れ、ミムラスとインパチェンスの2種類の植物を持ち帰りました。


博士はこれらの植物を使って経口ワクチンを作ったの同じ方法で調剤し、患者の性格に従って処方した所、すぐに良い結果を得る事が出来ました。


その年の後半に、クレマチスを加えました。これら3種類のレメディは、博士が全く新しい医学大系を開発する事になる
発端でした。

1930年に春にバッチ博士は43歳で自分の研究所や診療所を閉じ、自然の中にレメディを求めて、ウェールズを訪れました。


早朝、霜のおりた野原を歩いていた博士は、朝露は太陽の光で熱せられて植物の癒しの成分を取り込んでいるのだと、博士は思いつきまいた。

この事からインスピレーションを得て、博士は清らかな水を使ってレメディを作る方法を開発しました。

その年に、博士は病気とはスピリチュアルな目的から逸れていった結果である

というメッセージを込めた「汝自身を癒せ」という短い著作を書き上げました。同書は1931年に出版され、それ以降今日まで版を重ねています。

1930年の8月から1934年まで、バッチ博士はノーフォーク海岸沿いのクローマーに居を構え、フラワーレメディをさらに発見していき、

それらのレメディを使った患者の治療は成功を収めていきました。

1934年に、博士はマウントバーノンと呼ばれるオックスフォ−ドシャーの小さな家に移り住み、この建物は今ではDr エドワード・バッチセンターになっています。


博士はソットウェルとロンドンで患者の診察と執筆活動を行い、さらにレメディを発見して行きました。当時、バッチ博士は、有る症状を緩和する植物を発見する前には、自らがその症状に襲われ、精神的にも肉体的にも苦痛を体験したと言います。



博士は研究と講演を続け、研究を進める為に助手達の訓練も行ないました。38種類のレメディとレスキューレメディを開発した時点で、それ以上のレメディは人間のあらゆる側面をカバーし、従って病気の元となるネガティブな精神状態すべてに対応します。




1936年の11月末に、博士は使命を果たして満ち足りた想いで、眠りの中で息を引き取りました。


博士は、自分の研究を伝え続ける全責任を、自分が訓練した友人や、同僚の手に委ねました。

博士は自分の家が博士の業績の源として存在する事を希望しました。
このような訳でマウントバーノンのバッチセンターでは、現在もアドバイスを与え、教育を展開し、母液を作り続けています。この体系の伝統の純粋性と完全性が保たれる事を今日まで守り続けています。